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▼ 贅沢な宗教 宗教ってのは、何はなくとも贅沢品である。 そもそも宗教なんてものは、心の平穏のために信じるものであって、「何がなんでもどうしても必要」というものではない。それに金銭を投じるというのは、まあ、たまにしか使わないCDコンポに、7枚オートチェンジャーを付けるようなものじゃないだろうか。 その心の平穏にいくら払えるか、つまり、宗教にいくらつぎ込めるか、というのは人によって異なるだろうが、心の平穏を求めようとして、路頭に迷ってしまっては本末転倒もいいところだ。
ぼくなんかが個人的に考えるには、必要経費以上の金銭を信徒から徴発するのは、心の救済を旨とすべき「宗教」という枠から外れているのではないか、ということ。もちろん、その必要経費の中には、宗教家(お寺ならお坊さん、教会なら神父とか牧師とか)が生活していくためのお金というものも含まれている。だから、卒塔婆に3000円払ったり、お線香代とか心付とか言って、お坊さんに対するチップみたいなのを込めて1000円置いて来たりするのは、何の抵抗もない。庶民がより容易に心の平穏を得るために、税制面で宗教法人を優遇するというのも、そう考えればそれそれなりに納得がいくものだ。
とまあ、宗教の本質は心の平穏で、宗教は贅沢品のひとつだって考えていれば、まず悪質な宗教には引っかからないと思うけどなぁ・・・。 1999.12.03
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▼ 宗教余談 ほとんど全ての宗教において、その宗教の役割のひとつに「死への恐怖の払拭」が挙げられよう。 やはり、人の感じる恐怖の中で最も大きく、原初的で、万民に共通しているものと言えば、この「死」への恐怖をおいて他あるまい。だから、心の平穏を求めるべき宗教というものは、あの手この手でその恐怖を払拭、軽減しようと試みるのである。「死んでもまた転生しますよ」とか「死んでも天国に行けますよ」とか「魂は不滅ですよ」とか言うわけだ。かと言ってあまりに綺麗に払拭してしまって、自殺者が多発してもいけないので、自発的な死に対しては逆に恐怖を増幅させるような教えを説いているところも少なくはない(例外:殉教)。 だ・か・ら・・・、 「〜しないと死にますよ」なんていうい宗教を信じろって方が無理ってもんだよね。 1999.12.03
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