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▼ Nationalismアレルギー

 「私は日の丸が好きだし国歌といえば君が代の他にはないと思っている」
今あなたは、「いかん。こいつ右寄りだ」と思わなかったろうか。
「私は日頃から愛国心を持って日本という国のことを考えて生きている」
今あなたは、「いよいよいかん。こいつ、やっぱり右だ」とか考えなかったろうか。
「だってぼくは日本国に生まれて日本国で育ったんだし、両親だって日本人だもの。自然と愛国精神だって育まれるさ」
今あなたは、「あちゃー、こりゃホントにいかん。こいつ完全にライトウィングだ」と心の中でつぶやかなかったろうか。

 二次大戦の際に、さんざん「愛国心、愛国心」と囃したてられて犬死させられた後遺症からか、多くの日本人はNationalismに過敏な反応をしがちであると思う。あの時の日本なんて、やや誇張をこめて例えれば、今の北朝鮮みたいなものだ。せめてもの救いは、昭和天皇とその側近らが、落合の息子だかキャイーンのメガネだかに良く似た総書記よりは、まだまともだったということくらいだろうか。
 気付かなくてはいけないのは、あれは行きすぎたNationalismであるということ。その行きすぎたNationalismを恐れるあまり、小さな(適量の?)Nationalismにも過剰反応してしまうのだろう。

 ところがこれを「国」ではなく「都道府県」のレベルまで落として見ると、周囲の様子は随分と変わってくる。地元のスポーツチームや地元出身選手を応援したり、地元をけなされて憤慨したり、地元を必死になって弁護してみたりというのが、結構すんなりと受け容れられよう。
 この地元愛も、自国愛も愛する対象の規模が違うだけで、同じNationalismである。多くの国の多くの人々が、自国愛をあらわに対外交渉をし、それを当然のこととして外交を行い、異論を挟むことはない。ややずれた例だが、Patriot(愛国者)なんて名前のミサイルまである。地元愛、自国愛は決して後ろめたい感情でもなければ、忌むべき感情でもない。逆に、それらNationalismを持たないことがイコール「グローバルな視野」というわけでも、イコール「クール(格好いい)」というわけでもないのだ。
 もう少し、自国愛に対してアレルギーを持たずに接してみてもいいんじゃなかろうか。

 後日談:なんてことを言ってたら、小林よしのりが同じようなこと言ってた。ちぇっ。先を越されたか・・・(笑)

1999.09.10

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